夢にチャレンジする人を増やしたい
-岐阜を日本でもっともチャレンジにやさしいまちに!
~NPO法人G-net 代表理事 秋元祥治(あきもとしょうじ)氏
2010-06-15
岐阜県にある柳ヶ瀬商店街の近隣で育った秋元さんは現在30歳。NPO法人G-netという団体の代表理事だ。G-netは、岐阜を拠点にした、長期実践型インターンシップと創業支援の2つの事業を柱に、チャレンジする人を増やし、そのチャレンジを地域ぐるみで応援する土壌づくりに取り組んでいる。日本の若手社会起業家のさきがけとして紹介されることの多い秋元さんが、地域にかかわり始めたのは大学生のときだった。
*G-netでは、長期実践型インターンシップをホンキ系インターンシップという。
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空が見えた
「東京の大学に進学していて、その頃は卒業後もそのまま東京の大手企業に就職したいと思っていました。」と20歳の頃の自分を語る秋元さん。そんな秋元さんの目を地元・岐阜に向けさせたのは、帰省したときに見た一つの光景だった。「子どもの頃よく遊んでいた柳ヶ瀬商店街に隣接してにぎわいをつくってきた百貨店が消えて、更地になっていたんです。更地から今まで見えなかった空が見えた。ショックでした。」取り残されたように元気のない商店街の人たちに秋元氏は問うた。どうしてこんなことになったのかと。返ってきた答えは、「行政が悪い」、「アーケードが古くなっちゃって...」、「駐車場がない」、「駅が汚いから」といった他に責任をなすりつけるものばかり。「東京に戻ってから同郷の友人に、文句を言うだけで何もしない大人たちのふがいなさを愚痴りましてね。そして気がついたんですよ。ここで愚痴っていたら自分も同じだってことを。」
チャレンジする人を増やそう!
そこから岐阜を元気にしようとG-netという組織を立ち上げた。最初はそんなに前のめりでもなかったという。「半年期限でやろうと思っていました。」東京で活躍している大人たちの話を聞く機会として、講演会を月1回合計6回開催すれば、地元に残った若者も触発されてチャレンジする気になってくれるだろう。そうなったら地元の若者につなげて、自分は東京に戻るつもりだった。
やる気のある若者を探すために、講演会の際にアンケートをとり、秋元さんの取り組みに共感の声を寄せてくれた人たち一人ひとりに声をかけた(そのとき声をかけられた一人が現在G-net事務局長を務める加藤さんだ)。少しずつ地元の若者たちがG-netの活動に巻き込まれていく。
そんなふうにつながった仲間の一人が、G-netの活動の締めくくりにカウントダウンのイベントをやろうと言い出した。「その年も残すところあと40日というときにですよ(笑)。でもできない言い訳を探すのではなく、できる可能性を探そう!って突っ走りましたよ。」と秋元さんは苦笑する。あの手この手を使ってなんとか駅ビルを借り切り大晦日に800人の地元の若者を集めた(その3年後には観客1万人の規模となる)。カウントダウンイベントは大盛況のうちに終わった。秋元さんの心の中では、これでG-netの活動も区切りをつけるはずだった。
大人がほっておいてくれない
ところが、カウントダウンイベントが地元紙に大きく取り上げられると、面白いことをする活きのよい秋元さんを応援してくれる大人たちが現れたのだ。その大人たちが、秋元さんの活動をさらに支援してくれそうな地元の経営者を何人も紹介してくれた。会う人ごとに、チャレンジする人を増やすG-netの企画をプレゼンした。「毎日必死でした。その必死さが伝わったんだと思います」と秋元さん。地元の大人たちがたくさん応援してくれるようになった。地元とのつながりが深まり、半年期限という前提はいつしか消えていった。
秋元さんは、地元の協力を得て、『ビーンズフェスタ』という野外ライブを開催した。このライブ、メジャーなアーティストは一人も登場しない。ステージに立つのはインディーズなアーティストやアマチュアの人たち。「下手でもいい。チャレンジしている懸命な姿が人を感動させるから」。同時開催のフリーマーケットも、不用品のフリマではなく、クリエイティブなものが並ぶフリマに工夫した。しかし、「まだサークルの乗りでしたね。」と振り返る。
NPOで生きる決意
サークルから事業への脱皮のきっかけは、秋元さんの活躍を知り、事業をつづけていくのならNPO法人になるべきだという、ある市役所の人の強力な助言があったからだ。それは、秋元さん率いるG-netを育てたい。もっと大きな仕事を任せたいという思いからだ。熱い期待を受け、G-net はNPO法人として再出発することとなった。このとき秋元さんは23歳。まだ身分は大学生だった。
「大学生が立ち上げたNPOは珍しかったので、ご注目やさまざまなチャンスを頂きました。」と秋元さん。ミッションにかなうものなら何でも取り組んだという。カウントダウンイベントやビーンズフェスタの開催、フリーペーパーの発刊、ラジオ番組の制作等々。現在の事業の核となる長期実践型インターンシップのコーディネートを始めたのもこの頃だ。「インターン生の目の色が変わる姿を見て、この仕事にやりがいを感じました。」と秋元さん。スタッフ7人に対して給料を支払うようにもなった。軸足が完全に岐阜に移っていた。25歳の秋元さんはG-netで生きていくことを決意し、大学をやめた。
限界と転機
G-netの事業は広がる一方だった。しかし同時に、「イベントをやりたがる人は多いけれど、開催資金を集めることができる人は少ない。インターンシップのコーディネートも人任せにできない。結局自分が全部抱え込むことになって、限界を感じていました。」ミッションの実現と経営の観点から合理的に判断すれば、その時点でイベントなどからは撤退すべきだったと秋元さんはふり返る。「経営者としては判断が鈍かったと反省していますが、愛着があってすぐにはやめることができませんでした」
迷いながら、2007年に第6回となる野外ライブイベント『ビーンズフェスタ』を開催した。地元紙はタブロイド版の特集記事を出してくれた。岐阜市のお祭りとの共同開催で14万人もの人が集まった。それでも、これ以上続けることはできないと判断し、イベントやフリーペーパーの事業からの撤退を決めた。
目指すべきはスケールアウトか?
事業の選択と集中により、長期実践型インターンシップの取り組みが軌道に乗ったころ、秋元さんはアメリカに1ヵ月ほど滞在し、そこで多くの社会起業家たちと出会った。彼らは良いビジネスモデルはスケールアウト(他地域展開)していくべきだと熱く語っていた。これに触発され、秋元さんは長期実践型インターンシップを岐阜だけでなく三重や愛知などへ展開していった。
しかし、秋元さんはすぐに気づいた。長期実践型インターンシップが地方都市でも実践できるモデルであることを証明することも大事だが、これはあくまでも手段であり、これを広げることが目的ではない。「自分の想いは岐阜という地域にあることを。」長期実践型インターンシップを他地域に水平展開するのではなく、チャレンジする人を増やし、そのチャレンジを応援する人たちを増やすために岐阜で垂直展開していくことに決めた。「以前は事業が勝手に広がってゆき、それに振り回されるといった面もありましたが、今は、事業を意識的に広げたり、閉じたりといった試行錯誤がすこしはできるようになったかな」と経営者としての自らの成長を秋元さんは語った。
想いは変わらない
「東京に行った人も、残った人も、岐阜にはチャンスがない、ここでは夢は実現できないと思い込んでいる。自分たちで勝手にガラスの天井を作っている。」と秋元さんは指摘する。岐阜に戻り、地元のよさを発見した秋元さんは、そのよさが放置されている現実を悔しがった。「思い込みを捨てて岐阜を見れば、面白い会社があり、才能溢れる人がいて、やりがいやチャンスもあるということに気づくはずです。だから、東京に行った人たちにいいたい。帰ってこいよ。みんなで岐阜を元気にしようよと」
G-netのもう一つの核となる事業として、創業支援の取り組みを開始したのは2007年。創業支援によって、実際に岐阜でチャレンジする人を増やし、その人たちの姿を通して、岐阜にもチャンスはある、夢を実現することができるということを、自信を持って内外に発信していくためだ。「岐阜を日本でもっともチャレンジにやさしいまちにしていきたい」と熱く語る秋元さんの想い。
岐阜信用金庫からのメッセージ
秋元さんは引き出しがたくさんある方。長期実践型インターンシップでも一緒に取り組みました。現在は、G-netさんと応援センター事業の「創業塾」にて共に講師を引受けています。
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