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わがまちへの愛ゆえの海外投資-マクロの目で波濤を超えろ!
 ~株式会社NOMCO&CO. 代表取締役 阿部淳(あべあつし)氏

2011-04-22

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株式会社NOMCO&CO.は、不動産事業を筆頭に、葬祭事業、水産・商事事業、観光・サービス業など、幅広い分野を手掛ける、石巻を代表する中小企業だ。その代表取締役である阿部淳さんは、現在63歳。通信士として諸外国を歴訪した経験をもつ海外通だ。そんな阿部さんが、ふるさと・石巻で起業したのはいったいなぜか。起業家物語は、1冊のノートからはじまった。



きっかけは1冊のノート

宮城県、石巻湾に浮かぶ小さな島、田代島が、阿部さんのふるさとだ。昔は1,000人程度の人口を擁したが、今は80人ほどしかいない過疎の島。阿部さんはここで、両親の延縄漁業の手伝いをして幼少期を過ごした。阿部さんの父・庄五郎氏は、貨物船、漁船の機関長だったが、45歳の時に独立して漁業をはじめた。そんな父は、幼い阿部さんにある重大な「贈り物」をする。
「ある日、父から『ペンマンシップ』というノートを1冊、買い与えられました。アルファベットをなぞって練習できるノートです。それがきっかけで、海の向こうの世界に興味をもつようになりました」
海外への憧れを抱いた阿部さんは、小学5・6年生の時、早朝のラジオ基礎英語で英語を勉強し、中学校に入る頃には既に中学2年生までの内容をマスターしていた。高校へ進学し、1級無線通信士の資格を取得した阿部さんは、通信士として青年時代を過ごすことになる。



海の向こうで見た世界

通信士として商船に乗ることになった19歳の阿部さんは、世界中をまわった。
「船に乗っていると、ラジオ放送がどんどん変わって、毎日のように目的地に近付いているのがわかるんです。その感激は忘れられません」
nomco-2.jpg ソ連に行ったりアメリカを見たり、東南アジアの隅々まで回ったり......、25歳までの6年間、ありとあらゆる国々を見た。世界中には、社会主義と自由主義、為替レート、通貨単位、法体系など、さまざまな違いが存在していた。「体制が違う国があるということ、そしてそのような国では日本ではできないビジネスができたり、またその逆もあったりするということに気が付いたことが大きかったです。文化大革命真っ只中の上海で入院しなければならなくなり、国中が毛沢東思想一色に染められている様を目の当たりにしたことなども、政治への目覚めにつながりました」
経済面でも政治面でも視野を大きく広げた阿部さん。しかし25歳の時、両親の病気で石巻に戻ることに。「ずっと商船に乗って海外にいたので、次にどこに行きたいって言われると、私の場合は石巻でした。ふるさとに帰りたくなっちゃうんですよ」
故郷に戻った阿部さんは、海外での経験を活かし、サラリーマンとして働いた。堪能な英語を活かした外国人相手のビジネスで、阿部さんの視野はさらに広がった。
「貿易は、モノをAからBへ移すこと。日本ではさもないことが、向こうでは重宝がられたりします。幅広い知識と視野をもった人こそが、ビジネスチャンスを得られるのだと思います」
通信士時代、そしてサラリーマン時代を通して世界を見てきた阿部さんが、独立を決意したのは、32歳の時だった。
「ずっと世界を見てきたから、己の力を試してみたくなったんです。何も失うものがないから、怖くはなかった。90万円強の退職金を元手に起業しました」



お金がないなら知恵で稼ぐ

「最初は資本金がなかったので、知恵を出すしかなかった。海の不動産業をやりました」当時はまだ漁業が華やかな時代。船舶の輸出も盛んだった。
「船を建造すると古い船が市場に出るので、中古船舶の売買を仲介したんです。日本の船舶は優秀で、世界中で売れていました。また、漁業権の斡旋も行いました。売買の仲介や斡旋で数%を手数料としていただく、商社的な仕事をしたわけです。不動産業の感覚と同じですね」
中古船舶及び漁業権売買の仲介・斡旋は、何億、何十億と売り上げを伸ばした。他にも並行して船舶修理や損害保険代理業等を扱っていたが、仲介・斡旋業の著しい成長により1本化した。しかしその後、日本の漁業は衰退の道をたどり、今では海外勢に取って代わられつつある。
「採算性が悪化して、漁業者が船を買い換えなくなったんです。船のライフサイクルが延びたので、船の流通量が減った。弊社も、当時は全国でも有数の売買仲介業者でしたが、10年以上前から陸上への事業のシフトをはじめ、かなり進みました。社名を変更したのもそのためで、『海事』という言葉が馴染まなくなったんです」
2010年10月、創業30年を迎えた北日本海事株式会社は「NOMCO&CO.」に社名変更、持ち株会社として「北日本海事ホールディングス」を設立し、新たな一歩を踏み出した。



不動産賃貸業で、海から陸へ

陸上の事業はどのように展開したのだろうか。
「不動産賃貸業をやりました。ある先輩に、「日本は資本主義社会なのだよ。すなわち船舶、不動産や資産に稼がせるから資本主義と言える」と言われたことがきっかけでした。これにはものすごいカルチャーショックを受けました。資本主義というものの本質に気付かされたんです。目から鱗でした」



逆転の発想~地域密着のための海外展開~

不動産賃貸業は、石巻や仙台と海外の両方で行っている。
「石巻では、この25年間で20億円ほど投資しています。でも、人口の減っている石巻ですから、資産価値の上昇を考えればあまりいい思いはしていないですね。しかし、儲からないからやらなくてよいというわけではなく、地域貢献のために、石巻での事業には取り組まなければいけない。廃れていくふるさとを見捨てるわけにはいきません」そう熱く語る阿部さんの目は、真剣そのものだ。「石巻での事業は、不動産賃貸のほか、葬祭事業や福祉事業などを展開しています。7年前、この地域で不良債権化しそうな結婚式場を引き継いで葬祭場にしました。今ではこうした会館が、コミュニティーセンターのような役割を果たすようになってきています。したがって、将来確率の高いといわれる宮城県沖地震の発生時には、避難場所としての提供も考えています」
利益は薄くとも、わがまちのためになる事業であれば労を惜しまない阿部さん。しかし、燃える想いをもつわがまち起業家の視線の先にあるのは、石巻だけではない。
「地域密着の事業だけやっていたのでは、企業として飛躍できません。成長著しい海外に投資して、よりよい投資効率を目指す。外貨を稼いでこそ、石巻の事業を補えるんです。だから、マクロ経済を見る目ももたないとだめなんです。石巻にずっといて、年に2~3回しか東京に行かないようでは、井の中の蛙になってしまいます」
 毎日のように石巻にある社長室と東京・シアトルを結んでテレビや電話会議をし、偶数月はアメリカへ行っている阿部さん。海外に対する違和感は全くないという。
「水面下で、いつも異業種の勉強をしておくことが大切です。それさえしていれば、うちみたいに事業の転換ができる。経営には、足元を見る繊細なアリの目と、俯瞰する鳥の目、そして潮目を見る魚の目が必要だと言われています。潮目、つまりトレンドを見ないと、骨折り損のくたびれ儲けになってしまいますから」



わがまちへの想いを事業に込めて

わがまち・石巻での事業は、さらに広がっている。「石巻市の中心部に海事公園という新しい公園を整備し、2010年7月にサマーフェスティバルを開催しました。ウォーターフロントを石巻市民に見せたいというのが長年の夢のひとつだったんです。」
nomco-3.jpg 地域密着の事業にもマクロな視点を忘れないのは、国際感覚豊かな阿部さんだからこそ。
そんな阿部さんに、今後の展開を聞いてみた。
 「北日本海事国際交流基金という財団法人を、2010年10月1日付でつくりました。1億円の基金です。石巻専修大学の学長から、『優秀な子どもが学費の問題で退学せざるを得ない』という話を聞き、海外で得た利益をそういったところに活かせないかと思ったんです。この基金を、高校生や海外から来る留学生も含め、人材の育成に使っていきたいと思っています」
 若者が石巻で学び、育ち、そして未来の石巻をつくっていく。人材の育成におカネを振り分けることも、わがまちの未来を明るいものにするために重要なことだ。
 「事業については、選択と集中が必要だと思っています。浅く広く拡大した事業を整理統廃合して、何本かの柱として据えて、会社の足腰をしっかりとさせたい。不動産賃貸事業は、国内、アメリカ、そしてアジアも視野に入れて展開していきたいですね」
 わがまちの現在を見つめ、未来を描きつつ、それでいて視線の先には常に海外を忘れない。まさにアリの目・鳥の目・魚の目を兼ね備えたわがまち起業家・阿部さん。そのパワーで、石巻はこれからますます盛り上がっていくに違いない。



石巻信用金庫からのメッセージ

昭和55年の創業以来、地元石巻を拠点とし近隣各市のみならず、仙台・東京・アメリカまで営業基盤を拡大され、順調に業績を伸ばしてこられました。
 また、石巻商工会議所副会頭として地域貢献にも熱心に取り組んでいらっしゃり、当金庫が目指している経営方針と繋がるものがあります。
 阿部社長の強いリーダーシップのもとに、同社のスローガンである「石巻発、世界へ」の通り、グローバル企業として今後も発展されることを願っております。
*       *       *

この物語は、東日本大震災以前の取材をもとに作成したものです。
このたびの震災では、株式会社NOMCO&CO.の所有する一部の建物も被害を受けられたそうですが、阿部さんご自身も、社員の皆さまも、全員ご無事でいらっしゃるとのことです。
震災を受けて、阿部さんより次のようなメッセージをいただきました。
「今回の予想だにしなかった東日本大震災により、当地石巻も極めて大きな被害を受けました。日本のみならず、世界の多くの方々からの温かいご支援により、私どもは大いなる勇気と明日への希望を戴いた思いでございます。
後世のためにも2度とこのような災害の無い、新しいまちづくりをスタートしなければなりません。
復興を目指して地元企業としての責任を果たしつつ、地域経済再建のため全力を傾注する決意でございます」
 大変な状況でいらっしゃるにも拘りませず、快くメッセージをお寄せくださった阿部さんに、この場を借りて厚く御礼申し上げます。
阿部さんと株式会社NOMCO&CO.の益々のご活躍、そして被災地の1日も早い復旧を、心よりお祈り申し上げます。

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