土地と人への感謝は世代を越えて
-わがまちを受け継ぐ農産物加工
~株式会社味彩 代表取締役 富永誠司(とみながせいじ)氏
2011-07-07
愛媛県の山奥・城川で、こじんまりした農産物の加工場を営む株式会社味彩。その代表取締役である富永さんは、自身の起業のきっかけをこう語る。
弱っていくふるさとの農業を立て直すため、起業家の道を選んだ富永さん。その道のりには、常に周りの人々とのあたたかなつながりがあった。
農産物を加工したい
愛媛県の農家出身の富永さんは、4人姉弟の一番下に生まれた長男だ。富永さんが生まれた時、父親は45歳だったという。
「就職する時にはもう親父は70を超えてたから、帰るんやったら今しかないと思って。こっちへ帰ってきたら就職口も少ないので、農協に入り、22年働きました」
営農指導員として入ったが、当時はまだ景気がよかったため、しばらくはLPガスの配送(※1)やA-COOP(※2)のスタッフ、生活事業の仕事などを担当し、営農指導の担当に戻ったのは10年後だった。「その頃には大分農家の数も減って、非常に厳しい時代に入っとったんです。世の中の景気も悪くなっとった。それに、GATTウルグアイラウンドを受けて農産物の輸入規制が緩和されて、2000年くらいから農産物の売り上げが下がり始めたんです。これはいかんということで、加工品の生産を始めようと考えました」農産物を加工すれば、付加価値が付く分高値で売れるようになるため、単純に利益が増える。しかし、富永さんのねらいはそれだけではなかった。
「野菜が『○○産のナントカ』って札つけて店頭に並んでいられる時間は限られとる。農産物は、せいぜい1ヶ月くらいの勝負。でも加工すれば、12ヶ月間ずっと店頭に産地の名前を出せるんで、お客さんに認知してもらえるし、リピーターもつくでしょ」
農産物を加工することで販売期間が長くなり、産地の知名度が高まる。単純に利益を増やすだけでなく、持続的に売れる仕掛けをつくろうとしたのだ。
富永さんが城川町(※3)から補助を受け、農協(JA城川農産センター)の一部門として奥伊予味彩工房を設立したのは、2003年のことだった。
※1 LPガスの配送......JAでは、事業の1つとしてLPガスの提供を行っている。
(http://www.zennoh.or.jp/operation/sikumi_gasu.html)
※2 A-COOP......JAグループのスーパーマーケット
(http://www.zennoh.or.jp/operation/sikumi_seikatsu.html)
※3 城川町.........合併により現在は西予市
分社化という選択
味彩工房の経営は、農協という大きな後ろ盾に支えられ、資金面では非常に安定していた。しかし、農協は40~50名もの理事を抱える巨大な組織。動きが鈍いのが悩みだった。
「農協のやってることは、現代の農業にマッチしとらんかった。それを根本的に変えようと思ったんやけど、組織の中の1人の力では非常に難しくて。農協の一部でいればお金には困らんけど、できることに制限がかかる。それで、工房を子会社化することを提案しました」
農協は近年、食品や石油、ガスの販売など、あらゆる事業をそれぞれ株式会社化し、100%出資の子会社として運営している。富永さんもこれにならったというわけだ。
「提案してから2年くらいかかって、ようやく分社化することが決まりました。うちみたいなケースは全国でもあんまりないんやないかな。ほとんどの場合、子会社化するか独立を諦めて辞職するかやと思うから」 2009年、奥伊予味彩工房は、株式会社味彩として新たな一歩を踏み出した。
分社化の話を固める中で、富永さんがとくに気を付けていたことがある。
「農協から離れるにしても、追われて出て行くんと勝手に出て行くんではえらい違いや。農家から見て反逆みたいに見えるような独立の仕方やったら、出て行ったんならもう知らんぞってことになる。そうならんように気を付けました」
そのおかげで、分社化した今でも、農協にいた時に培った人脈は活きているという。
支えられてこその起業
「そら怖かったよ、起業するんは。土台があって引き継ぐとかいうことではなかったから。技術はあったけど、うまくいく自信はなかった。だからとにかく数字を読みました」
数字を読む――つまり、本当にこのやり方でいいかどうか、シミュレーションする。本当は数字を"読み切る"ことが理想だが、そこはやはり人間のすることなので、100%読み通りにいくことはほとんどない。だからこそ、数字を読んだ上で最悪の事態を想定して動くことが大切だと、富永さんはいう。
「数字が読めて、初めて起業できるかどうかわかる。起業したら途中でやめるわけにいかんじゃない、人に支援されて、仲間もついてきてるのに。起業家というのは、周りの支援があってこそなれる。僕は起業家になろうと思ってなったわけじゃない。ただ自分だけがやりたいと思って起業しても、やっていけないと思う。いくらお金があっても、頭がよくても」
周囲の支えがあってこそ、自分が起業家になれた。だからこそ、経営者は独りよがりになってはいけない。「地域の人があってこそ、僕らも起業できるわけよ。1人じゃ絶対に生きられんのだから。今頃は自分だけ貯蓄していい思いしようとする経営者が多いけど、そういうのは経営者として最低やな。企業として業績を残していくためには、お金を地域に落としていかんと」
地域への還元に加え、共に働いてくれる人たちへの還元も大切だと、富永さんは言う。
「利益を増やすために人件費を削る会社が多いでしょ。でも僕は給料抑えてまでやりたくないし、有給休暇も退職金もきちんととらせたい。だから人数を増やしすぎないようにして、その分給料は上げる。プラントも、余計なものには投資しない。お客さんの好みはすぐ変わるから、下手に投資したら絶対に失敗する。僕が百姓出身やけん、こういう発想なんやと思う。百姓はカネじゃなく気持ちで商売しとる。そりゃ、最後は金よってみんな言うけど、通常はカネでは人は動かん。やっぱり人間対人間や。社員と周りのパートナーあってこそよ、会社いうんは」
支えてくれる人への感謝ゆえ、社員の待遇に気を配り、リスクヘッジを徹底する。
勝ち残るカギは消費者の声
味彩のつくり出す商品は、醤油にはじまり果実茶、ジャム、果汁、ピクルスに至るまで、実にさまざまだ。
「つくれる商品の種類は約60あって、そのうち8種類を同時期に並行してつくってます。もちろん、ときどき商品の入れ替えをしながら。2010年の新商品はかぼちゃのスープ。そのまま食べるとジャムやけど、牛乳で溶くとスープになるんよ」
かぼちゃのほかに、栗や鳴門金時のスープもつくっているという。ユニークな商品を次々に考案する富永さん。その商品開発の最大のポイントは、何といっても消費者の声だ。
「デザインにしろ、味にしろ、消費者の要望に応えるのは絶対。消費者の声は対面販売で集めてます。消費者のことを考えずに自分の思い入れだけでやったら、絶対、間違いなく失敗する」
富永さんはそう言い切る。
「地方の味も大事やけど、より多くの消費者に好んでもらうにはやっぱり東京で売れる味でないといかん。うちの製造監査役は全国を回った経験のある人で、全国各地の味のバランスをわかっとるんです。東京の消費者が好む味、大阪の消費者が好むプライスになるように気を配ってます」
大消費地の消費者に受け入れられるためには、味や値段だけでなくブランド感も重要だ。
「ブランド感をもたせようってことは、かなり最初の頃から意識しとったなあ。グレードの高いところで売ろうと、よく東京に通いました。多少無理してでも千疋屋と取り引きしたりとか」
景気のよかった頃は、21粒(1kg)で8,000円する栗が飛ぶように売れたという。
高級なものを売ることだけがブランドづくりではない。富永さんがもっとも大事にしているブランディングのポイントは、"国産無添加"だ。「国産無添加にはとにかくこだわってます。うちみたいな小さな企業が勝っていくには、差別化せんと。他社と同じものを作って、他社の方が味がよければ抜かれるし、味がよくてもそのうえで安全性を確保してないと、それもそれで抜かれる」
消費者の声に応える品質、値段、独創性を兼ね備えてこそ、競争を勝ち抜き、地元の農家を支え続けていくことができるのだ。
地元の農家を支える、つながる
富永さんの原点にあるのは、地元の農業を支えたいという熱い想い。だから、売る場所こそ全国を視野に入れるが、原料に関してはもちろん地元にこだわる。
「マンゴーだけは宮崎県産やけど、ほかはみんな愛媛県産を使います。形や色が悪くて農協がよう使わんようなものも買い取って、加工する。最終的に農家が困ったらいけんからな。せっかくつくった農産物が売れんかったいうんが一番いけんでしょ」
規格外の農産物を活かしたいというのも、富永さんが農産物の加工をはじめた理由のひとつだ。
地元の農家を大切に思うからこそ、富永さんは農家とのつながりも大切にする。
「基本的には、契約した農家にうちが所有する農地で栽培してもらい、そこで収穫したものを全てうちで使うようにしとります。それに加えて、農協が全集荷したものを買い取ったりもしとる。個人農家とはうちはつきあわないんよ。農協から買う値段より個人農家から買う値段の方が高くなったりすると、小さなまちで分け隔てをつくることになるでしょ。だから必ず農協を通すようにしてます」
小さなまちだからこそ、人間関係は丁寧に、筋を通す。
「個人農家だと営農指導を十分にできんというのも、農協を通す理由のひとつです。個人農家と取引すると、農薬の用法・用量を守ってるかとか、そういうとこまでうちが直接責任をとらんといけんようになる。農協を通せば、そこは安心でしょ」
組織の変化~次代へつなぐために
社員はほとんどが主婦だ。パートタイマーも含めれば、総勢30名ほど。主婦だけでなく、おばあちゃんだって活躍している。
「限界集落にもお金を落としたくて、そこに加工施設をつくりました。80歳くらいのおばあちゃんたちが生姜の下ごしらえをしてくれる。家におっても何もすることないし、体が鈍るだけやから、こういう場をつくれば地域貢献にもなるし。歩合制なんで、ライバル意識も生まれるんよ。1人あたり月10~15万円も稼ぐ。すごいよな、その歳で!」
今後もこのような施設を3箇所ほど増やして、地域の人になるべく直接お金が落ちるようにしたいという。「会社そのものは"小さい政府"にして、次の世代の社員を育てていきたいと思ってます。会社は人が育たんと絶対育たん。会社だけが大きゅうなっても空洞化してしまう。人を育てて、売り上げがそれに応じて伸びていけば、確実な会社になれる」
だから今、富永さんは若手の育成に力を入れている。
「これからは世代のバランスが大事。会社にとってそういう時期が来たんです」
今までは、味を守っていくために、なるべく社員間で派閥をつくらないようにし、社内の一体感を大切にしてきた。しかし人数が多くなると、どうしても派閥ができてくる。
「派閥に分かれると一体感は薄れますけど、その代わり派閥同士が切磋琢磨して新しいアイデアを生むようになるので、そこに期待しようと思ってます。世代がばらけることもプラスになる。同じ年齢層同士やったら、つい人任せになったりするじゃない。下ができると、しっかりやらんと馬鹿にされるんで、責任感が生まれるでしょ」
派閥ができるのは一長一短だ。しかし、事業を、そしてわがまちの農業を次世代につないでいくためには、この壁を避けて通ることはできない。
「世代を越えて残していくことで、地域にも貢献できる。そうして、企業自身も世代を越えていけるんです」
訪れた過渡期の試練に果敢に立ち向かう富永さん。奥伊予の未来を切り拓く挑戦は、まだ始まったばかりだ。
愛媛信用金庫からのメッセージ
愛媛県西南部の山間に位置している株式会社味彩。周りは田畑だらけ。
「城川の風土に育った恩恵に感謝し、この地に志の証を築く。大地を耕し、種を蒔き、苗を育て、収穫の歓びを皆でわかちあい生きる。先人の遺した文化を活かし、新たな歴史をつくることで、地域に貢献できることを目標としたい」
これは、設立時、富永社長が記したもので、富永社長の志が凝縮されています。本社を訪れるたび、この文言が目に入ります。
過疎化が進み核たる産業の乏しい当地で、地域の発展のために、地域の住民のために、公私の区別なく活躍されている富永社長、これからも益々ご活躍されることを期待しています。また、私どもも地域と共に生きる信用金庫としてこれからも応援していきたいと思っています。
categories:









