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体当たりで、理解しあう、経営を学ぶ-若手2世経営者の奮闘!
 ~東電池株式会社
   代表取締役社長 東長大(あずまながひろ)氏

2012-01-13

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「この会社に入った時は、継ぐ気なんてまったくなかったんですけどね」と笑う東長大さんは、東電池株式会社の代表取締役社長だ。東京都荒川区にある同社は、大手電池・照明メーカーの代理店で、創業は1918年と歴史ある企業だ。潰れかけていた会社を見事立て直した、若き2世経営者。しかしその成功は、2度の転職、新入社員時代のいじめ、2世経営者になってからの苦闘――ありとあらゆる苦難を乗り越えて、ようやく勝ち得たものだった。



歴史ある企業の継承者

東電池株式会社の誕生は、今からおよそ90年前にさかのぼる。
「創業者が日本電池(※1)の出身で、1918年に日本電池の第1号の代理店を立ち上げたのがはじまりです。当時は東商会という名前でした」
創業者の東長作氏は、東さんの義理の祖父にあたる。DSC_0063.jpg 「創業者の息子である東昭夫は私の義理の父で、1971年当時、東商会の常務として電源部門の事業を担っていました。その部門を分離させ起業したのが、この東電池です」
東電池の手掛ける事業は、大きく分けて照明事業、電源システム事業、保守運用事業の3つだ。
「照明事業では、街路灯や、ガソリンスタンド、トンネル、屋内プールの天井などに取り付ける照明を扱っています。一方、非常時のバックアップ用電源装置や、UPS(※2)、各種蓄電池などを扱うのが電源システム事業です。そして保守運用事業では、これらの電源装置やUPSなどのメンテナンスを行っています」
DSC_0066.jpg 海外進出も視野に入れながらさらなる飛躍を目指し、会社を切り盛りする東さん。しかし、実は入社前は全く違う業界に勤めていた。
※1 日本電池......正式名称「日本電池株式会社」。2004年に株式会社ユアサコーポレーションと経営統合し、株式会社ジーエス・ユアサ コーポレーションを設立した。
※2 UPS.........無停電電源装置。停電などで入力電源が断たれた場合も、接続されている機器に対して一定時間電力を供給し続ける電源装置のこと。



二度の転身~「すごい軽い気持ち」で

東さんが大学を卒業して就職したのは、アパレル業界だった。
「10~20代前半向けのレディースを扱っていて、パルコやラフォーレなんかに服を卸す、営業の仕事をしていました。睡眠時間は平均2時間で、手取りは14万円ほど。それだけ仕事に打ち込む人が多かったんです。みんな、寝なくても飯を食わなくても仕事をしてました」
そこで学んだのは、仕事に打ち込む気持ちだったと東さんはいう。
「自分の仕事に対して妥協しない、そのためには寝なくても構わない。そういう気持ちを学びました」アパレルを辞めてからは、卸問屋に勤めた。しかしある日、その会社がなくなることになり、選択を迫られる。
「叔父が会社をやっていたことを思い出して、安易に入れてくれと頼んだんです」
最初は「すごい軽い気持ち」だったという。
「でんちのでの字もわからずに入りました。電池といっても乾電池のようなものと、簡単に考えていました」



社内いじめ

東さんが入社した時、会社は瀕死状態だった。
「売上が10億円の大台を割り込んでいましたし、メーカーからも、会社を取り込みたいと思っている天下りの社員が来たりしていて、いろんな人の思惑がせめぎ合っていました。そんな中に会長の親戚が入ってきたということで、目の敵にされまして。それはいじめられました」
DSC_0045.jpg 出社すると、毎日机の上にゴミが置いてある。「お前が来なければうまくいったのに」と実際に言われたこともある。最初の1年は2回胃潰瘍になって入院した。
「朝会社に来ても、事務所までの階段が上がれないんですよ。仕事も誰も教えてくれないので、メーカーや工場などに行ったり、業者さんに聞いたりして仕事を覚えました」
悩みに悩んだ東さんは、義理の父である社長(現会長)に相談した。しかし――、
「社長からは、『俺は何もできない。俺が何かしても、またお前がいじめられるだけだ。どうするかはお前が決めなさい』と言われたので、ちょっと腹が立ちまして(笑)。でも、その通りだなとも思いました」
自分で何とかしなければ、何もできないまま終わってしまう。その想いが、東さんを突き動かした。
「それで、うちの人たちが回っていないお客さんを1,000先くらい回りました。それなら誰にも文句を言われないですから。気付いたときには、成績がトップになっていました。それを見た途端に、周りの態度ががらりと変わりましたよ」
その時は、東さん自身も恨む気持ちはなく、逆にこうしてもらったのがよかったのだと思えるほどの、心の余裕が生まれていた。



突然の社長昇格

成績トップの営業マンに成長し、周囲とも少しずついい関係を築くことができた東さん。5年目には取締役に就任し、その後も変わらず営業の仕事を続けていた。しかし、平穏な日々は長くは続かなかった。
「社長がある朝突然倒れて、そのまま入院してしまって。1ヶ月間意識不明で、話も全くできませんでした。社長のほかに取締役はいましたが、カネ回りから何から誰も何もわからない。全てを社長が動かしていたんです」
社長がいなくなって初めて、社長なしでは仕事が全く回らないことに気が付いた。この危機を乗り越えるべく、社長の親族である東さんのところに、代表権を引き継いでくれと依頼がきた。
「急きょ社長になることになって。でも当時は、小切手や手形の意味さえわかっていませんでした。何もわからなかったので、とにかく本屋さんで財務や経理の本をドサッと買ってきて、読みあさりました。本は知識的なものだけで、1年間実際に経験する中で感覚をつかんでいったという感じです」
そのほかに、会社の帳簿を見たり、金融機関や会計事務所の先生に話を聞いたりして、1年間かけて会社のことを調べ上げた。売上分析をすることで、どの時期に何をするのか、いつが苦しい時期なのかを把握できた。
「引き継いですぐは、本当に潰すかも知れないと思いました。わからないことが多すぎて、逃げ出したいというのが正直な気持ちでした。でも継いだ以上は潰せない。何があってもこの会社だけは、独りででも守らなきゃいけない。そういう想いが強かったです」
社内の人間関係も、東さんにとって大きな悩みの種だった。
「急なことだったので、私が継ぐことについては社内でも反発がありました。いじめを乗り越えて、やっと築けた社員とのいい関係が、そこでまた崩れたんです。『お前のことはすごいと思うけど、お前の下につくのはちょっと......』っていう具合に」
最初の1年は、ストレスで20kgほど太ったという。
「誰も味方がいなくなったような感覚になって。あの頃は1日6~7食食べていました。仕事が手探り状態だったので、食べることで不安を解消していたんです。でもそれで具合が悪くなって、これはいけないと思って元に戻しました」
若くして社長になった東さんには、当然のことながら年上の部下がたくさんいた。
「年の差と経験の差を埋めて、お互いを理解しあうには、ぶつかっていかないとなかなか難しくて。今、役員をしている年上の人たちと怒鳴り合いの喧嘩をしたこともあります。でもそれを続けてきたからこそ、お互いに理解できたんだと思います。本当にこいつは何考えてるんだろうってところが見えないと、あなたを担いで会社やりましょうってならないですから」



当たり前のことを当たり前に

 引き継いで初めて会社の経営状態の危うさに気が付いた東さんは、大胆なコストカットに着手した。
 「無駄なコストは全部削りました。1人でお金の管理をすることに限界を感じたので、管理畑も増やしました。それまでは社長が帳簿をつけていましたが、数字を握っているのは営業部門で、経営が読めなかった」
 そんな経営者としての甘さを金融機関に指摘され、悔しい思いをしたこともある。
「『若いからね』と当時よく言われました。数字が読めなければ経営はできない。当たり前のことがわかっていなかったんです」
東電池の社是を「当たり前のことを当たり前に」としたのは、それがきっかけでもある。
「当たり前のことがきちんとできていれば、何か問題が起こったときにすぐ気付けます。"当たり前"は人それぞれ違うので、お客さまにとっての"当たり前"も当たり前にこなせるように、という想いも込めて」 "当たり前"をこなすために、意識改革にも力を入れた。まずは挨拶の習慣づくりから。
「誰も挨拶をしない会社だったんですよ。お客さまがいらっしゃってもいらっしゃいませすら言わない。挨拶ができると絶対に仕事以外にもプラスになるので、とにかく徹底しようと」



代理店の枠を超えたい

会社の内部が良い方向に変化していくなかで、会社を取り巻く環境もまた、刻々と変化している。
「国内需要は飽和状態で、価格を下げないと売れないような状況になってしまっています」
今のままではいずれ立ち行かなくなる。だから、単なる代理店の枠を超えたいのだ、と東さんはいう。
「全国1360社の電気工事店とのネットワークをもっている会社と一緒に、新しくIGFという会社を立ち上げました。IGFは屋内照明とそれに付随する電気関係の工事を主業務とし、東電池とIGFの2社で屋内と屋外両方に対応できます」
自らがメーカーでないことを逆手にとった戦略も考えている。
「うちはメーカーではないので、製造以外は何でもできる企業になろうと思って。全国各地どんな場所でも対応できるようなネットワークと、どんなメーカーの製品にも対応できる技術力さえもっていれば、やがて時代が変わって新しい製品が主流となったときにも必要とされる企業でいられる。IGFを通して事業を拡大していくことで、それら2つの要素を身につけたいと思っています」
現在東電池は、代理店業界の照明部門で1位。IGFの力を借りてできることの幅を広げ、照明部門以外の全部門での1位獲得を目指す。
いくつもの苦難を乗り越えて、見事社内の改革に成功した東さん。その若くたくましい力とリーダーシップで、東電池の可能性はこれからますます広がっていくに違いない。



城北信用金庫からのメッセージ

 東社長には、若いけれど物事の本質をとらえることができ、時代感覚を持った人、また常に自己変革と挑戦をし続けている人という印象を強く受けました。震災以降、危機管理の重要性が高まっており、これからの社会に絶対的に必要な分野であると思います。その意味で今後大いに期待しています。

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